三日坊主

だいたい何をやっても三日坊主だ。

 

早いものだと一日で終わる。例えばウォーキング。形から入るのでウエアとウォーキングシューズ(店員さんにちゃんと話を聞いてある程度良いものを買う)も用意するが次の日には

「今日は寒いから明日にしよう!」

 

三日以上続くものもあるが、一ヶ月は続かない。

例えば英語。単語が読めないからいけないんだ!→フォニックス始めましたからの

「今日は疲れたから明日にしよう!」

 

本当に不思議なくらい、意思が変わってしまう。昨日の自分と今日の自分はまるで別人のようだ。

 

もし仮に、昨日の自分が今日の自分と同じでないのであれば三日坊主なのは納得出来る。同じでないから違う結果を選ぶのは何もおかしくはない。

 

そうした時に三日坊主ではない人はどうやって続けているのか、という疑問がわく。同じではない存在が同じ結果を選ぶ、どうやって選ばせているのか。

 

予想するに、理由は、やりたい事をやっているからではないか。

なんという当たり前すぎる答え。

しかし、この「やりたい事」という表現がなかなかくせ者だと思う。

 

その日の自分にとってはウォーキングも英語も「やりたい事」だったからだ。だが次の日(または次のサイクル)の自分にとっては「やりたくない事」になっていた。

 

つまり、「やりたい事」ってのは自分と違う自分が、同じように「やりたい事」である必要がある。

そんな都合の良い「やりたい事」ってそうそう無いのでは?と考えられる。

 

三日坊主にならない人はこの「やりたい事」への持っていき方が上手なんだろうな。

 

そもそも三日坊主って何日までやれば三日坊主ではなくなるのか?

 

3ヶ月。多分3ヶ月くらい続けると三日坊主とは言わないのではないだろうか。

 

結局何を言いたかったのかよくわからなくなったのでヤメ!